偕楽園記の碑 (かいらくえんきのひ)

偕楽園の園庭から好文亭に向かう入口の左奥にあります。
第九代水戸藩主徳川斉昭(烈公)は、天保12年(1841)から13年にかけて偕楽園を造成したが、この碑はそれに先立つ天保10年にここに建てられ、あらかじめこの園を造る趣旨を公示したものである。
碑は縦2.51m、横2.4mの自然石で、その表面に公が自ら撰文した文字が、精巧な古篆体(こてんたい)という書体で刻まれている。
本文588字、その他24字、上に「偕楽園記」の4文字を大きく題字として掲げている。また、文字を囲む梅樹の巧みな図柄は時の藩絵師萩谷せん喬(はぎのやせんきょう)の筆で、梅園の碑にふさわしい風格を備えている。
本文は大きく前段と後段に分かれ、前段では、天地自然の間に厳存する陰と陽の相反するものの調和によって、万物は健全育成するという原理に基づいて、人間もまた屈伸して身体の保全をはかり、あわせて他の生物と異なる特性の修養につとめよと説いている。後段は前段の屈伸緩急の理論を実行する場としてこの園造成の経緯を述べ、学び勤めかつ遊ぶという勉励と休養のバランスを常に心がける者こそわれと偕に楽しむ資格ありとして「偕楽園」と命名した真意を示している。(水戸市役所ロビー偕楽園記の碑拓本の説明文から)


偕楽園記の碑

偕楽園記の碑

 

碑の裏面

 

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