子規の句碑 (しきのくひ) |
正岡子規(1867-1902 俳人・歌人。松山市生まれ36才で没す) |
子規の句碑 |
初秋の「子規の句碑」 |
子規の碑の背面 |
正岡子規と野球 |
野球殿堂に掲げられている正岡子規のレリーフ 明治17年、東京大学予備門時代にベースボールを知り、野球に熱中したといわれる。22年7月には、郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、松山中学の生徒らにベースボールを教えた。23年2月、『筆まかせ』の雅号の項に「野球」が初めて見られ、幼名「升」から(のぼーる)と読ませている。29年には「日本」新聞に連載された『松蘿玉液(しょうらぎょくえき)』の中で野球のルール、用具、方法などについてくわしく解説している。野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られ、新聞や自分の作品の中で紹介し、野球の普及に多大な貢献をした。「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」「今やかの三つのベースに人満ちてそヾろに胸の打ち騒ぐかな」(野球殿堂に掲げられている「正岡子規の顕彰文」より) |
野球殿堂とは |